カンボジアのシアヌーク前国王が15日、療養先の北京で死去した89歳だった2004年に息子のシハモニ国王に王位を譲ってからは、あまり表に出ることもなかったが、フランスからの独立、内戦、和平と激動の現代史を生き抜いた前国王に対する国民の敬愛の念は深く、遺体がプノンペンに到着した17日には、数十万人が沿道に迎え出た
シアヌーク前国王は15日未明に亡くなった知らせを受け、シハモニ国王とフン・セン首相が15日に中国へと向かい、17日午後、シハモニ国王の母親であるモニク前国王妃らとともに、遺体に付き添って帰国した
ジャスミンの花と国軍旗に覆われた棺は、プノンペンの国際空港から王宮まで、カンボジア王室、政府関係者や外交団らの車列に守られながら移送された
遺体は3カ月の間、王宮内に安置され弔問を受ける葬儀の日程は発表されていない地元紙によると、前国王は遺灰をプノンペン市内のメコン川とトンレサップ川が合流する地点に流してほしいと希望しており、一部を王宮内の寺院に納めた後、大部分は川に流されることになるという
◆独立と和平の立役者
前国王は1941年、18歳で即位「私は(宗主国の)フランスが思っていたようなおとなしい羊ではなくトラだった」と自ら表現したように、53年にフランスからの独立を勝ちとったその後、55年には父親に王位を譲り、政党を立ち上げて政治的指導者としての道を歩んだ
70年、外遊中に親米派のロン・ノル将軍によるクーデターで失脚「政界から身を引きフランスで生活を」との提案を蹴り、中国での亡命生活を選んだ中国ではポル・ポト派を含む左派勢力と結び、反米運動を繰り広げたが、同派が政権を取るとプノンペンの王宮に幽閉された同派政権崩壊後は反ベトナム勢力として内戦に加わった
ベトナム戦争と東西冷戦下で、大国の思惑に翻弄される小国の独立を守るため、その政治姿勢は現実主義に徹していたそれゆえに「本心が分からない」「気まぐれ殿下」と言われることもあったしかし90年代、東西冷戦の終焉(しゅうえん)とともに和平への機運が高まると、内戦終結交渉の立役者として活躍93年に38年ぶりに新生カンボジア王国の国王に即位した
カンボジア日本人商工会(119会員)の中野広士会長は「王宮前に詰めかける人々を見ていると、若い世代を含め、これだけ多くの国民が王室に敬愛の念を抱いていることに驚くカンボジアの財界関係者も驚いていたただ、シアヌーク前国王のご逝去が、カンボジアの経済成長や、政治的安定に直接の変化をもたらすことは考えにくいカンボジアはこれまでどおりの経済成長を続けるだろう」と語るまた、「シアヌーク前国王は、激動のカンボジア現代史の中で、常に政治の中心におられた大国に囲まれても、カンボジアと王室の独立を維持してきたしぶとさ、その生命力は強く印象に残る現在の発展はその努力を基礎にしたものであり、敬意を払わなくてはいけないご冥福をお祈りしたい」と話す
◆ASEANから批判
前国王の逝去をめぐり、際立ったのが中国の存在感だった北京では、真っ先に習近平・国家副主席がモニク妃を弔問北京から遺体を移送する際には、中国国際航空の特別機が使われ、中国政府からは戴秉国・国務委員ら約50人が同行したという
新華社通信によると、戴秉国氏は18日にプノンペンでフン・セン首相と会談「シアヌーク前国王の遺志を継ぐためにも、中国とカンボジアの戦略的な協力関係を深めていくこと」で合意したさらにフン・セン首相は「カンボジアは11月に(東アジアサミットなど)複数の重要な国際会議を主催する中国と緊密に協力しあい、これらを成功させたい」と述べた
カンボジアは、7月に開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の会議で、議長国であるにもかかわらず極端に中国寄りの姿勢をとったとして、ASEAN内外から批判を浴びた一方で中国は9月、カンボジアに対し5億ドル(約400億円)以上の援助や20億ドルに及ぶ製鉄所への投資などを約束しており、関係は深まっているシアヌーク前国王をめぐる中国側の動きは、カンボジアとの蜜月ぶりをさらに印象づけた形になった
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